掃き溜めアラカルト

多分が余分

成長なんてクソ食らえ

「君達が学校に来ているのは、成長するためなんだ」

一ヶ月くらい前だろうか。数学の授業中に教師がこんなことを言っていた。

はっきり言おう。僕は「成長」という言葉が大嫌いだ。というよりも、「成長」という言葉を安易に使う人間が嫌いという方が正しいだろうか。

僕が大嫌いな""あいつら""は、息を吐くように「成長」という言葉を使う。しかし、あいつらの口から放たれた言葉には全くと言っていいほど具体性がない。何がどのように、どんな風に「成長」するのか。全くもってわからない。要はスッカラカンなのだ。それに気づくことが出来ず、「成長」だとか「成功」とほざいている人間を見ると軽蔑すら感じてしまう。

もしかしたらあの教師は二次性徴の話をしていたのかもしれない。そう思いつつも、もやもやした気持ちは心の底に残り続けた。

「成長」することは良い事だ。「成功」したら尚更素晴らしい。でも、これらはそう容易く出来ることじゃない。そもそも「成長」なんて体感できるものではないし、「成功」に至っては客観的基準がない。各個人の裁量に任せるというスタンスなのだろうが、僕にはそれが気に食わない。

成長なんてクソ食らえ。夕暮れの放課後、僕はそうポツリと呟いた。